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【歴史総合解説】第1章 ヨーロッパにおける主権国家体制の形成①(中央集権化と主権国家体制の形成)

地歴

皆様お久しぶりです。はじめましての皆さんこんにちは。私、ジョージ先生(@GeorgeSAteacher)と申します。

私はTwitterInstagramnoteKindle本で情報発信をしている高校教師です。

本日から『ヨーロッパにおける主権国家体制の形成とヨーロッパ人の海外進出』の単元に入っていきます。

まずは前回のおさらいからいきましょう!

(勉強は復習が大事です!)

下に前回の記事を載せましたので、確認してみてください!

前回のおさらいが済んだら、早速本題に入っていこうかと思います。

それでは今日も結論から参りましょう!

主権国家体制における世界の『平等』は本来の平等とは異なるものであった。

それでは詳細について解説していきます!

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世界の一体化

それではまず、1500年頃の世界を確認していきましょう!

この当時の世界は隣接する地域との交流は盛んに行われていましたが、世界的な貿易は行われていませんでした。

ジョージ
ジョージ

15世紀の日本は室町時代真っ只中で、あまり海外との交流もありませんでした!

しかし、その後は徐々に外国同士の交流も増え、世界の一体化が始まりました

そしてこの世界の一体化が進んだ背景には西ヨーロッパの動きが関係しています。

それではそのときの西ヨーロッパの国の様子を確認していきましょう!

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主権国家体制の形成

16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパの状況はどうだったでしょうか?

17世紀では大きな国がデカデカと君臨するのではなく、イギリスやフランス、スペイン、オランダなどの中規模の国が乱立する状態となっていました。

これらの中規模の国にはある共通した特徴があります。

それが中央集権化主権国家体制です。

それぞれ説明していきます。

中央集権化 → 中央政府が主導で国家を運営する組織形態のこと

 

【中央集権化の流れ】

①今までは諸侯と呼ばれた貴族達が各国にいて、その諸侯たちが個別に権力を持っている(=地方分権化)状況だった

②しかしこの諸侯たちの権力が強くなりすぎると国のリーダーは政治がしにくくなる(諸侯たちの顔色を伺いながら政治を行わないといけなくなる)

③スムーズに国民をまとめるためには諸侯たちに権力を与えないほうがいいと判断した。

④中央政府が単独で権力をもち、国民を支配する形態が取られるようになった。

ジョージ
ジョージ

日本も江戸時代は藩主に権力を与えた地方分権スタイルが採られていたが、その後の明治政府は中央集権化を推し進めていきました。

当時の国際秩序 → 主権・領土・国民をもつ主権国同士が対等な立場で外交関係を結ぶ

【当時の国際秩序(国同士の関係性)】

①世界各地で中央集権的国家が乱立するようになる。

②国内の統一が図られた後、国外の国同士の関係性が注目されるようになる。

国外の国同士の関係はあくまで対等とする

ジョージ
ジョージ

中国が行っていた朝貢貿易(上下関係がはっきりしている方式)とは根本の考え方が違いますね!

この当時ヨーロッパで推し進められた『中央集権化』国家間で形式上の『平等が保たれていた国際秩序』を併せて主権国家体制と言いますので覚えておきましょう!

主権国家体制 →  国内における中央集権化+国外における国際秩序

ジョージ
ジョージ

ではこの主権国家体制のもと、世界に平和は訪れたのでしょうか?

残念ながら答えはNOです。次の章で主権国家体制の実態について触れていきたいと思います。

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主権国家体制の実態

まず国内における中央集権化の実態を確認していきましょう。

中央集権化の実態

中央集権化とは国内の諸侯と呼ばれる権力者の力を押さえて、政府主導により国家運営を行っていく制度のことを言いました。

ジョージ
ジョージ

このように聞くと、一部の権力者に力を与えず、平等な世界を築けると思うじゃないですか?

しかし国内に平等は訪れませんでした。

なぜなら、中央集権化が進められたことで、君主(国のリーダー)と臣下(国民)という上下関係はより色濃くなり、国民は身分秩序に基づいて国家運営がされていたからです。

国民目線で見てみると、上に立つ人間が諸侯から君主に代わっただけで、身分としてはあまり代わっていないのが上の図をみるとわかるかと思います。

これでは国民が思うような平等は実現されませんよね。

なので地方分権が悪くて中央集権が必ずしも良い社会だとは言えないのです。覚えておきましょう!

国際秩序の実態

それでは次に平等が保たれていた国際秩序の実態について触れていきたいと思います。

国外における国同士の関係は形式上、平等であるとされていました。

しかし実際のところはどうでしょうか?

一つ例を取ってみましょう。

スペイン王のフェリペ2世と言う人物がいました。

この人物は1556年からスペイン王に就き、絶対王政を行っていました。

このフェリペ2世がスペインの王位についている時、ポルトガルで王家が断絶するという事態が発生します(1580年)。

フェリペ2世はこの事態に漬け込み、母親がポルトガル王家出身であったことからポルトガル王に立候補し、何と実際にポルトガル王に就任することになるのです。

このような一人の人物が複数の王国の君主となることを同君連合と言います。

ジョージ
ジョージ

それでは質問です。なぜフェリペ2世はスペイン王でありながらポルトガル王にも就こうとしたのでしょうか?

その理由は自身(フェリペ2世)の有する領土を拡大したいから。

つまり、各国は対等な関係であるという前提の主権国家体制の中にも自国の利益や領土拡大を目論む人たちはたくさんいて、世界的にみても平等な世界とは程遠い現実があったということなのです。

ちなみにこの時のスペインは太陽の沈まぬ国と言われていました。なぜだかわかりますか?

こちらの図をご覧ください。

スペインは地球の裏側まで支配領域を手にしており、常にどこかの領土が太陽に照らされている状況でした。

こうした広範囲な領土を獲得するためには当然ながら戦争も起こります。

これらのことから平等な関係を維持する主権国家体制は実現できなかったと言えますね。

本日のまとめ

1 国家の内部では政府主導の中央集権的支配が進められた。

2 国家の外部でが名目上、平等を目指す国際秩序を保とうとしていた。

3 領土の奪い合いなど実質的な平等は実現することはできなかった。

自己紹介 好奇心旺盛な社会科教師

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